吹雪の2日目・・・
2011年 01月 03日
1日目に宿泊したホテルは、あじゃら山の上に建つホテルだったので、ふもとからマイクロバスに
乗り換えてホテルに到着しました・・・
翌日目が醒めて、窓から外を見ると、真っ白な世界でした
午前中ストーブ列車に乗る予定が、強風のため運休ということで、次の見学地太宰治の生家へ・・
明治40年に、大地主津島源右衛門(太宰治の父)が建築し、米蔵にいたるまで日本三大美林の
ヒバを使い、当時のお金で工事費約4万円(現在の7.8億円!)をかけて造られたそうです。
そしてこの家で明治42年に10番目の子どもとして、太宰治が生まれました。
その後、この家は昭和25年から旅館「斜陽館」として賑わいましたが、平成8年3月に旧金木町
が買い取り、旅館「斜陽館」は46年の歴史に幕を降ろしたそうです。
この土間には、当時たくさんの米俵が置かれたようです
この部屋は2階の洋室、椅子の高さが違うのですが、低いのは女性用、和服なので正座して
座ったようです
この部屋で太宰治がよく勉強していたそうですが、襖に↓斜陽の文字が・・・
この後、2日目のホテルに向かいました。
部屋の窓からは釜臥山と陸奥市内の様子が一望できて、とてもきれいでした
明日は青森の旅3日目、とても楽しい体験をしました・・・また遊びに来てくださいね!!
乗り換えてホテルに到着しました・・・
翌日目が醒めて、窓から外を見ると、真っ白な世界でした
午前中ストーブ列車に乗る予定が、強風のため運休ということで、次の見学地太宰治の生家へ・・
明治40年に、大地主津島源右衛門(太宰治の父)が建築し、米蔵にいたるまで日本三大美林の
ヒバを使い、当時のお金で工事費約4万円(現在の7.8億円!)をかけて造られたそうです。
そしてこの家で明治42年に10番目の子どもとして、太宰治が生まれました。
その後、この家は昭和25年から旅館「斜陽館」として賑わいましたが、平成8年3月に旧金木町
が買い取り、旅館「斜陽館」は46年の歴史に幕を降ろしたそうです。
この土間には、当時たくさんの米俵が置かれたようです
この部屋は2階の洋室、椅子の高さが違うのですが、低いのは女性用、和服なので正座して
座ったようです
この部屋で太宰治がよく勉強していたそうですが、襖に↓斜陽の文字が・・・
この後、2日目のホテルに向かいました。
部屋の窓からは釜臥山と陸奥市内の様子が一望できて、とてもきれいでした
明日は青森の旅3日目、とても楽しい体験をしました・・・また遊びに来てくださいね!!
by cocomamak
| 2011-01-03 01:07
| 旅いろいろ